2009年5月28日木曜日

バルサ優勝!

昨日のチャンピオンズリーグ決勝!
FC BARCELONA VS MANCHESTER UNITEDという夢のカード…絶対観るぞと勇んで寝たのだが…


寝過ごして観れませんでした!!涙)("^^)


どうせYou Tubeでゴールシーンやハイライトが無数にアップされるのだろうと思っていたけど、余程の利権が絡んでいるのか、利用規約に違反しているとかで全ての決勝動画は削除されている!
畜生…どんなゴールだったんだろう…

準決勝に進んだ4チームの内、3チームはイングランドのチーム。ここ数年のイングランド全盛を表す数字だったが、優勝したのはスペインのバルセロナ。やっぱり欧州サッカーは奥が深い!

来年はイタリアやドイツのチームは巻き返せるのかな?特にイタリアの凋落ぶりは惨めなほどだ…
あの八百長事件でユーベがセリエBに落っこちたあたりから、イタリアは影が薄くなってきたと思う。あの時、世界中がイタリアにガッカリしたと思う。俺もそうだったし。「何だよ、そんなにセリエAって八百長が多かったのかよ?」みたいな…

来年もカカとか、他の大物もイングランドやスペインへ流出が続くかもしれない。そうなったらブンデスリーガの二の舞になる可能性もあるな…
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同日、日本代表がチリを招いて練習試合をやっていたが、これは意図的に観なかった。観る気もしなかった。何だよあのチリ代表は?まるでユースチームじゃねえか…ヨーロッパでプレーしてる選手が一人も出てなかったし…日本サッカー協会も抗議するべきじゃないのか?
何が4-0の勝利だよ、勝って当たり前だろう。あれじゃ練習にもならんだろうが…

まあ、日本代表のメンバーも相変わらず冴えない顔ぶれだった様だ。

毎回思う事だが、何でJ発足以来、常に最強の看板を安定して掲げている唯一のチームである鹿島アントラーズからは選手がほとんど選出されず、弱小チームから沢山選出されるんだろう?

日本代表は鹿島の選手+海外組で構成するべきだ。勝負強く、世界の厳しさを知る選手で固めれば、ちったあ日本も良くなるはずだ。
ま、岡田がやってる内はそうなることもないんだろうな…やっぱり観る気もしねえや。


それでもW杯予選はやっぱり気になって観ちゃうと思うが、昔の様に代表に燃える事はもうないだろう。

2009年5月24日日曜日

熱海旅行

ひさしぶりの更新!まあ、最近は至って平穏に過ごしていた。

そしてこの週末は真希ちゃんと伊豆は熱海へ小旅行へ行って来た!(^^)

真希は今まで伊豆に行った事が無かったらしい。俺も最近は全然行ってなかったから、じゃあ熱海に行こう、という事になった。

なぜ熱海か?それは熱海には親父が友人数人とシェアして買ったマンションがあるからだ。そこをシェアホルダー(とその家族)達は毎月順番を決めて使っているわけだが、この22日~24日はわが親父が部屋を使える日だったので、親父に頼んで真希との旅行に使わせて貰った。ホテル代も浮くし。

なかなかいいマンションで、住人だけが入れる1階の大浴場は源泉を引っ張っている本物の温泉だ。熱海の市街地までも歩いて数分。ロケーションは最高と言っていい。眺めも良いし。
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22日は金曜日で普通に仕事があった。が、真希と話し合って、金曜日の内に何とか熱海のマンションまで移動しておこうと決めていた。金曜日の内に向こうへ行っておけば、土曜日は朝一から熱海を満喫出来る。そう思ったからだった。

金曜の夜20:45に東京駅で真希と待ち合わせ。21:03発の東海道線伊東行きに乗れば、11:00頃に目的地来宮に到着予定。二人共もうこの時点ですでに旅気分。あえて向かい合わせのボックス席に座り、買い込んだ缶ビールで乾杯。つまみのさきイカを頬張り、♪汽笛一声 新橋の~♪のメロディーにすっかり気分も盛り上がっていた。金曜だし、周りは家路につくサラリーマンやOL、学生ばかりで、旅行気分丸出しなのは俺達だけだった。("^^)

夜中にマンションに到着。ほろ酔い気分でイチャついた後に就寝。やっぱり金曜の内に移動だけしておいて正解だった。

さあそして土曜日。起きたのは割とゆっくり目。下の大浴場でゆっくり温泉につかっていたらあっという間にお昼近くに!さあ大変とあわてて出発し、あらかじめ調べておいた海鮮料理屋「まさる」に海鮮丼を食べに行った。先ずはビンビールで乾杯。アジのたたきをつまんだ後に、メインの海鮮丼へ。期待通りのうまさだった。

その後は市内観光へ。「まさる」はすでに街中だったし、それほど市街地は広くなかったから路線バスと歩きで十分だった。

最初は高名な「お宮の松」と、隣にある「貫一お宮の像」。あの金色夜叉の名場面、貫一がお宮をけっぽっている場面の銅像だ。
ぼくは貫一 きみはお宮 まさにこの世の大迷惑 (ユニコーン)

ネタで真希ちゃんに金色夜叉やって写真を撮ろう、俺は貫一ね、と言ったらあっさり拒否された。
その後に熱海駅外の商店街にあった顔をはめこんで写真を撮れる貫一お宮のパネルで写真を撮ったのだが、何と俺の方がお宮の役になった!とほほ…明治時代と違って、平成の女は強い…

その熱海駅までの道中もそうだが、熱海は江戸時代からの関東人のリゾートというだけあって、街のあらゆる場所が風情に溢れていた。何でもない路地や坂、石畳、石段、家屋などが何とも言えない味を出しており、自然と階段や細い道へ吸い込まれてしまい、写真を沢山撮った。
冬ざれた石段 たたずめば みんな昨日の事の様さ いつかの特別な夏さえ…(仲井戸麗市)

熱海駅から路線バスに乗ってまた街へ戻り、熱海港まで行った。目的地は「秘宝館」。18禁の博物館で高名なやつだ。下らん下ネタのオンパレードが楽しませてくれるだろうと期待してロープウェイから秘宝館へ上った。

秘宝館は…まあくだらなかった。苦笑)まあ、カップルで笑いながら見るのが丁度良い。面白かった。

その後に上にある熱海城へも行ったのだが、こちらはチャッチイものだった。観光用に作られた感がありありで、昔からある様なオーラが全然無かったので中へは入らなかった。

帰りは歩いて帰ったのだが道に迷ってしまい、全然違う方向へ歩いて行ってしまった。山越えまでする羽目になり、相当なウォーキングをして汗びっしょり。マンションへ帰り、ソッコーで風呂を浴びた。

その日の夜も海鮮丼。笑)最初に「すし忠」という所へ行ったのだが、まだ20:00頃なのに閉店の時間だからと入れて貰えなかった。
熱海銀座や他の商店街もそうだが、熱海は閉店するのが早すぎる!シャッター商店街って感じだった。まあ、お客もそれほど来ないのかもしれんが…

次の日の最終日も、また活動はお昼頃から。(二人共起きるのがゆっくりだから。)
るるぶに載っていた、評判のとんかつ屋、「喜撰」へ向かった。俺はひれかつが大好きだし、テイクアウト出来るという評判のカツサンドを買うのも楽しみだった。
とんかつは評判通りのうまさ!ラガービールを飲みながら幸せなひと時。食事後は予定通りカツサンドをテイクアウトした。
そして…この旅一番の大事件はこの後に起こった!
サンビーチのベンチに座り、二人でカツサンドを食べていた。二人は寄り添い、愛のひと時…
そして真希ちゃんがカツサンドを頬張ろうとしたその瞬間!二人の顔と顔の間を一瞬凄い風圧が吹き抜け、黒い物体が通り過ぎて行った!
何だ今の!?と思って顔を上げたら、ハヤブサの様な鳥が空を上がっていったのだった!
おい真希、鳥だよ今の!と叫んで真希の顔を見たら、真希は固まって涙目。そして手に持っていたカツサンドは鳥にさらわれていたのだった。カツサンドだけならともかく、真希はほっぺたと指を少し切ってしまった。あの鳥のくちばしにやられたのだろう。痛いよ~、と涙目の真希。いやはや…信じられない。あのハヤブサは俺達をつけていたのか?よくもまあ、カツサンドを見極めたもんだよ…
あの「喜撰」のカツサンドは鳥にまで評判良いみたいだね、すごいね、と冗談を飛ばすも、真希はショックで硬直。
まあ確かに、頭に当たらなくて良かった。もし頭や顔に当たっていたら、大怪我をしていた可能性も十分にある。何しろ凄いスピードだったから…これからは外でカツサンドを食う時は、鳥に襲われない様十分注意しなきゃいけない事を学んだ。苦笑)

そして夕方。マンションを掃除して荷物をまとめ、マンションに別れを告げた。その日の夕食は「すし忠」へ。今度は間に合った。特上を食べ、少し真希と語らった。
その後駅へ向かい、東京へ帰った。いや~、楽しかった!(^^)是非また今度来たいと思った。要領も大体分かったし…
それにしてもまあ、食っちゃ飲んで寝て、食っちゃ飲んで寝て、の繰り返しだったなあ…また太っちゃったかな…("^^)
今度は南伊豆へでも足を延ばしてみようかな!(^^)

2009年5月9日土曜日

清志郎葬儀 in 青山霊園

今日9日は青山葬儀所にて清志郎の追悼式が行われていたので出向いた。

俺は今まで、好きな芸能人やスポーツ選手が死んだ時にわざわざ追悼に行った事はなかった。休日をつぶしてわざわざ遠くまで…今まではあり得なかった。そういう気持ちになったのは今回の清志郎が初めてだ。初めて純粋に、心から花をたむけに行きたい、と思った。何というか、自分の身近な知り合いが死んだ様な気持ちだったから、当たり前の様に冥福を祈りに行った。

午前中は歯医者に行き、午後一で乃木坂の青山葬儀所へ。
途中で献花用の花を買った。清志郎にはやっぱり向日葵が似合うかな?と思い、向日葵を一本混ぜておいた。("^^)

12:30に乃木坂に着いた。13:00開帳と聞いていたが、すでに長蛇の列が出来ていた!何だこりゃあ…凄い事になってるじゃねーか!
後で知ったが、この行列は結局8キロにも及んだそうだ。


こんな事ならビールでも買ってくればよかった!と思ったが、すでに遅し。トイレにも行けないし。(>,<")

ファンの年齢層はやっぱり少し高かった。アラフォー世代が一番多かった。10代/20代が少なかったのがちと寂しかったが…

12:30から並び始め、並ぶこと4時間…やっと青山葬儀所の中へ。

敷地内では曲が全開でかかっていた。「GLAD ALL OVER」の3枚目のCDだった。「ステップ」とかがかかり、口ずさみながら列を進む。いやはや、ここまで来るのにマジで疲れた。汗汗)

いよいよ献花台へ。大きな清志郎の遺影はピンク色の淵だった。

俺がこの中に入った時にかかっていた曲は何と「トランジスタ・ラジオ」だった!あれほど好きだった曲がかかるとは…

泣いてるファンも多かった。清志郎のファンは中途半端なファンはあまりいないと改めて思った。


献花を終えた後も帰らずに残っているファンも多かったが、俺は疲れたから帰った。

結局俺は献花するのに5時間かかった!まだまだ並んでいたファンは沢山居たが…下手したら彼らはまだ並んでるかも。それほど人、人、人だった。おそらく全国からファンが集まったのではないだろうか…

皆、自分の青春時代を想い出して、たまらず献花に来たんだろうな…清志郎の死で、自分の「青春」が終わったと感じた人も多かったと思う。

素晴らしい時間を今まで俺に与えてくれた清志郎の冥福を改めて祈りたい。

Im really proud of Kiyoshiro, as one of Japanese man. Rest in peace, Kiyoshiro!!

2009年5月6日水曜日

春のG.W終了

今日は6日。春のG.Wもいよいよ終わりだ。早いもんだ。
まあでも、今年は秋にもG.Wがある様だから今から楽しみではあるが。


俺は月曜日だけ一人で実家に帰っていた。月曜から今日まで、真希ちゃんのご両親が田舎から出てきてたので、真希ちゃんはご両親と一緒だったからだ。

そして昨日の夜、俺も初めてご両親にお会いした。4人で一緒に晩御飯を食べたのだが…緊張したなあ。汗)

とてもいいご両親だった。まあ、真希を見てれば悪い家庭で育ったとは思えなかったから、想像通りだったとも言えるが…俺の印象はどうだったかな・・・冷汗)
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清志郎が死んで3日経った。もう葬式は近親者のみで行われ、映像がテレビに出ていた。
「無宗教のロック葬」で、お経の代わりにRCの曲が全開でかかっていた。清志郎らしい。

チャボがチラリとテレビに映っていたが、驚くほどやつれていた!
チャボはお棺の前で狂った様に踊っていたそうだ。想像するだけで泣けてくる…

葬式には林小和生や破廉ケンチ、新井田耕造なんかも来ていたそうだ。梅津と片山も居たから、あの日はついにRCのメンツが勢揃いした日とも言える。清志郎は眠っていたが…


ウチの兄貴も言っていたけど、何か青春が終わったっていうか…清志郎が死んだ事で、自分の人生にも一つの区切りみたいなものを入れられた様な感じがしている…

あーあ、今日も一曲書くか。
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「涙あふれて」
作詞・作曲: 忌野清志郎 

涙あふれて歌ったら きっとみんなは喜ぶだろう
だけどあの娘は 僕が泣くのをとても嫌がるのさ

泣いた事など無い様な奴が 涙こぼしてしまったら
珍しがってみんな笑うけど だけどあの娘は嫌がる

*) あの娘は僕を泣かせたりしない
つらい思いをさせたりしない
僕はあの娘を泣かせたりしない
だから僕は泣かない

涙あふれて歌ったら 人気スターになれるかな
だけどあの娘は泣いてる僕を 決して見たくないのさ

*) 繰り返し

もしもあの娘がいなくなっちまったら 涙ぽろぽろ落ちるだろう
だけどあの娘は 僕が泣くのをとても嫌がるのさ

そうさあの娘は 泣いてる僕を決して見たくないのさ

Yeah!Baby 僕は泣かない 君を泣かせたりしない

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明日から仕事か…ま、でも二日働けばまた週末!頑張るか。

2009年5月3日日曜日

追悼:忌野清志郎

今日朝起きてYAHOO!ニュースを見ると、眠気を吹き飛ばす衝撃的なニュースが目に入った。

「昨日5月2日夜、忌野清志郎ががんにより死亡。」

ここ数年、清志郎はがんと闘っていた様だが、復活宣言をしてライブを行っていたから完治していたと思っていたが…実は末期症状だったのだろうか。もう治る事はないから、最期にやりたい事をやるだけやろうとしていたのだろうか。

真相は分からない。今はただただショックだ。

俺は就職した後のここ数年、清志郎はあまり聴いてはいなかった。学生時代以前はRC/清志郎ばかり聴いていたが、社会に出た後はチャボばかり聴いていた。チャボの曲の方が歌詞に深みがある、と感じる様になっていたからだ。

しかし、この間の2月末に、このブログを始めるきっかけになったあの事件が自分に降り懸かって以来、また清志郎の歌を聴く様になっていた。忘れていたそのストレートな曲達に、再び胸を打たれていたのだ。
決して癒されるのではない。浸らされるもの。清志郎の歌とは俺にとって長い間そういうものだった。

そんなタイミングに、この死のニュース…言葉も出ない。

KING OF R&R、最高のVOCALIST、忌野“SWEET SOUL”清志郎の長年の盟友、チャボは今頃どんな心境なのだろうか。もうあの二人が肩をくんで「夜の散歩をしないかね」を歌っているのを観る事は出来ないのか…

泉谷は清志郎の死は認めない、清志郎は自分の青春そのもの、との談話を発表したそうだ。

「自分の青春そのもの」か…何となく言いたい事は判る。俺も清志郎の声を聴くと、オートマティカリーに高校時代/大学時代を思い出す。中学を出る頃、薄い壁を隔てた兄貴の部屋から毎日の様にトランジスタラジオが流れてきた。最初はその声が煩わしくうるさく感じていたのだが、徐々に洗脳されていき、その内他のミュージシャンを聴けない位清志郎にハマってしまった自分が居た。

高校1年の時に初めてロックの生ライブを観に行ったが、勿論それも清志郎だった。その時はすでにRCではなく、「2,3s」というバンドだったが。
新宿にあった「日清パワーステーション」という小さなライブハウスだった。小さいハコなだけに、物凄い間近で清志郎を観る事が出来たのだった。そして、客がステージに投げ入れたクラッカーを清志郎は鳴らした後にその芯を投げ返したのだが、それを見事キャッチして大喜びしたあの感覚を鮮明に覚えている。清志郎と繋がった様な感じだった。

今、あの日を思い出している。一緒にあのライブを観に行ったYは、今頃どうしているんだろうか…


これからぞくぞくと音楽界からのおくやみの言葉がニュースに載る事だろう。すでに矢野顕子や泉谷なんかは談話を発表しているが…チャボが気になる。

今週末の9日に、青山でファンのお別れ会みたいのが行われるそうだが、行きたいと思っている。

又、近い将来、追悼ライブが必ず行われるだろう。それも絶対に行きたい。


今日は清志郎を偲んで当然一曲書くが、どの曲がいいか迷ったが…何故かあの歌が頭に浮かんで離れなかったのでそれを書こう。追悼としてふさわしいかどうかは別として。

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「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」
作詞・作曲: 忌野清志郎

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
二人乗りで 二人乗りで 遊びに行こうよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
冬の道を 冬の道を 遊びに行こうよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
坂を下って 坂を下って 国立に行こうか

君はいつも僕を愛してる 君が編んでくれたマフラーあたたかい

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
坂を下って 坂を下って 南口に行こうよ

君はいつも僕を愛してる 君だけが僕の味方だった 時もあった

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
大学通りを 大学通りを 二人乗りしようよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
一ツ橋の 一ツ橋の 芝生に寝転んで

君はいつも僕を愛してる 君は言ってくれた
僕は悪くない
僕はそれほど悪くない
僕はちっとも悪くない
君だけを忘れない

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
二人乗りで 二人乗りで 遊びに行こうよ…

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日本の生んだ偉大なるロックンローラー、忌野清志郎を偲び、合掌。