2009年5月3日日曜日

追悼:忌野清志郎

今日朝起きてYAHOO!ニュースを見ると、眠気を吹き飛ばす衝撃的なニュースが目に入った。

「昨日5月2日夜、忌野清志郎ががんにより死亡。」

ここ数年、清志郎はがんと闘っていた様だが、復活宣言をしてライブを行っていたから完治していたと思っていたが…実は末期症状だったのだろうか。もう治る事はないから、最期にやりたい事をやるだけやろうとしていたのだろうか。

真相は分からない。今はただただショックだ。

俺は就職した後のここ数年、清志郎はあまり聴いてはいなかった。学生時代以前はRC/清志郎ばかり聴いていたが、社会に出た後はチャボばかり聴いていた。チャボの曲の方が歌詞に深みがある、と感じる様になっていたからだ。

しかし、この間の2月末に、このブログを始めるきっかけになったあの事件が自分に降り懸かって以来、また清志郎の歌を聴く様になっていた。忘れていたそのストレートな曲達に、再び胸を打たれていたのだ。
決して癒されるのではない。浸らされるもの。清志郎の歌とは俺にとって長い間そういうものだった。

そんなタイミングに、この死のニュース…言葉も出ない。

KING OF R&R、最高のVOCALIST、忌野“SWEET SOUL”清志郎の長年の盟友、チャボは今頃どんな心境なのだろうか。もうあの二人が肩をくんで「夜の散歩をしないかね」を歌っているのを観る事は出来ないのか…

泉谷は清志郎の死は認めない、清志郎は自分の青春そのもの、との談話を発表したそうだ。

「自分の青春そのもの」か…何となく言いたい事は判る。俺も清志郎の声を聴くと、オートマティカリーに高校時代/大学時代を思い出す。中学を出る頃、薄い壁を隔てた兄貴の部屋から毎日の様にトランジスタラジオが流れてきた。最初はその声が煩わしくうるさく感じていたのだが、徐々に洗脳されていき、その内他のミュージシャンを聴けない位清志郎にハマってしまった自分が居た。

高校1年の時に初めてロックの生ライブを観に行ったが、勿論それも清志郎だった。その時はすでにRCではなく、「2,3s」というバンドだったが。
新宿にあった「日清パワーステーション」という小さなライブハウスだった。小さいハコなだけに、物凄い間近で清志郎を観る事が出来たのだった。そして、客がステージに投げ入れたクラッカーを清志郎は鳴らした後にその芯を投げ返したのだが、それを見事キャッチして大喜びしたあの感覚を鮮明に覚えている。清志郎と繋がった様な感じだった。

今、あの日を思い出している。一緒にあのライブを観に行ったYは、今頃どうしているんだろうか…


これからぞくぞくと音楽界からのおくやみの言葉がニュースに載る事だろう。すでに矢野顕子や泉谷なんかは談話を発表しているが…チャボが気になる。

今週末の9日に、青山でファンのお別れ会みたいのが行われるそうだが、行きたいと思っている。

又、近い将来、追悼ライブが必ず行われるだろう。それも絶対に行きたい。


今日は清志郎を偲んで当然一曲書くが、どの曲がいいか迷ったが…何故かあの歌が頭に浮かんで離れなかったのでそれを書こう。追悼としてふさわしいかどうかは別として。

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「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」
作詞・作曲: 忌野清志郎

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
二人乗りで 二人乗りで 遊びに行こうよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
冬の道を 冬の道を 遊びに行こうよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
坂を下って 坂を下って 国立に行こうか

君はいつも僕を愛してる 君が編んでくれたマフラーあたたかい

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
坂を下って 坂を下って 南口に行こうよ

君はいつも僕を愛してる 君だけが僕の味方だった 時もあった

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
大学通りを 大学通りを 二人乗りしようよ

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
一ツ橋の 一ツ橋の 芝生に寝転んで

君はいつも僕を愛してる 君は言ってくれた
僕は悪くない
僕はそれほど悪くない
僕はちっとも悪くない
君だけを忘れない

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ
二人乗りで 二人乗りで 遊びに行こうよ…

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日本の生んだ偉大なるロックンローラー、忌野清志郎を偲び、合掌。

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